ポリ子の日記

ポリ子さんの抽象的で感覚的でたまに論理的な日記です。大手メーカ経営企画。海外旅行。哲学。心理学。宗教。政治学。社会学。経営学。美味しいもの。個性。人類。が好きです。

いつまでも若々しくいるには、新しいことをやり続けること

 

最近30歳を過ぎて、老けたくないとリアルに思うに至ってきた。

 

周りを見渡して観察をすると、

年齢を重ねても生き生きした人と、健康状態は良好なのに目が死んでいる人、人類は二種類に別れていることに気付いた。

 

生きているのに、目が死んだような人間には死んでもなりたくない…

 

小泉今日子みたいに年齢を感じられてもいいけど(失礼)、小泉今日子みたいに生き生きして生きていたい。

 

彼らはどこが違うのだろうか。

 

観察結果として、いくつか思いあたるのであげてみる。

 

1.新しいことに挑戦している

 

茂木健一郎さんの本に

脳がアドレナリンを一番出すのは、成功確率が半々のときであると書いてあった。

100パーセント失敗するときでも、100パーセント成功するときでもなく、50パーセント。

つまり、出来るか出来ないか、ちょうど分からないくらいのことにチャレンジする際に、脳は快感を覚えるのである。

 

わたしの周りの友人でも、生き生きと楽しそうな人は、習い事なり、転職なり、仕事内容なり、恋愛なり、子育てなり、ちょっとしたことでもチャレンジしている人が多い。

 

新事業推進部に配属されて、某 P 社とか、N社とか大手企業の新事業担当の方々にお会いするが、皆んなエネルギーに満ち溢れ、楽しそうにチャレンジしている人が多い。

初めて彼らの世界に入ったとき、こんな社会人もいるものか、と目から鱗だった。新事業なんて大概大変なのだが、彼らからは、皮肉な言葉も出ず、前向きで、純粋に人生や仕事を面白がっている。

 

それは、我々が子供時に感じた、頑張って頑張って「できた!!」という感じを、今でもたまにやっているからな気がする。

 

そのとき脳からはアドレナリンが出ているに違いない。

 

 

2.自己効力感がある

 

では、どのような人がチャレンジする傾向にあるのか?

 

それは、自己効力感のある人であると思う。

自信と言う表現では曖昧なので、あえて自己効力感と定義する。自己効力感とは自分が何かに対して影響を及ぼせると言う感覚のことである。

クリエイティブマインドというデザイン思考の本には、創造性を発揮させるために必要不可欠なものとして自己効力感があげられていた。

完璧に出来るかどうかはわからないが、とりあえず何かはできるっしょ!そんな感覚。

 

成功確率が半々、というのは主観に左右される。事業の成功確率であれば、孫正義の思う半々と、私の思う半々では、規模感やら事業内容やらなにもかもが変わってくるだろう。

 

成功確率が半々であると感じるのは自分だ。主観なのだ。つまり、自己効力感を持ち、小さいことにチャレンジして成功したら、次はもう少し大きいこともできるのではないか、と自己効力感はどんどん大きくなるのである。

 

自己効力感を持つ人はどんどん新しいことにチャレンジし、さらに自己効力感をもちさらにチャレンジできるという好循環が生まれるのだ。

 

3.素直である

 

では、自己効力感はいかに育まれるのか?

 

それらを育むには、自分が信頼できる人の承認他ならず、それらを真と認めることのできる素直さ他ならずである。

 

私の会社の女性の先輩に、「課長に褒められるんだけど、なぜだか全く分からない。むしろ混乱する。」と言っている女性がいた。

彼女は出来る、と結構有名だったので私はびっくりした。

では、課長が嘘ついてるって思いますか?もし課長を信頼してるなら、その言葉を受け入れちゃえ!とアドバイスした。

その女性は、「あはは、前向きだねー!」と笑っていた。

その気持ちが自己効力感→チャレンジ→生き生きキラキラへの第一歩であるように思う。

 

 

これを認識してから、私は毎月1人以上と初対面の人に必ず会うようにしている!

なかなか良い人に会うようになってきている。まさしく自己効力感が増している最中である。

 

 

ポリ子でした。

 

あと30分で死ぬと思ったハワイの人々

アメリカ・ハワイ州で、1月13日午前8時7分に「緊急警報。弾道ミサイルの脅威がハワイへ接近中、ただちに避難を。これは訓練ではありません」という緊急メールが一斉送信されました。

 

アメリカ人と話をしたところ「これは訓練ではありません」と言う表現がとても重要で、これによって現実味がものすごくますらしいです。

 

ハワイの人々はあと30分で死ぬと思ったはず。彼らはその時何をしたのだろう?

 

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ちなみにそのアメリカ人のいとこである夫婦は、ハワイに在住して長く、2人の子供がいるらしい。子供たちはそれぞれ独立し、アメリカ大陸で暮らしているとの事。

 

弾道ミサイルのアナウンスがあり、もうあと30分で死ぬんだと認識したその時、彼ら死を受け入れたそうです。

そこで何をしたのか?

 

なんと彼らは穏やかに近所の人たちとおしゃべりをし続けたそうな。いつもと変わらないそんな毎日。

 

あと30分で死ぬと言われた時、あらわになるのはその人の人生観なのか?

 

それとも、その人のその時点での人生の満足度なのか? 

 

あーあれやっとけばよかったな、ともし思うことがあるのであれば、あなたは今すぐにそれを実行に移すべきです。

 

何かで、後悔のない人生は深みのない人生であるみたいな名言を読んだことがありますが、ポリ子の意見としてはやはり後悔の最小化は、努力してしないといけないと思います。

 

人間の最大のそして最高の素質は、想像力だと思います。

特に答えは無いですが、これぜひ1回想像してみたほうがいいと思ったのでここに書きます。

 

ちなみに、ポリ子だったら、絶対生き延びると、生き延びる方法を脳をフル回転させて考えます。絶対諦めない!笑

 

でも核シェルターなんて近くにないからどうしたらいいかわかんない。笑

昔映画で冷蔵庫の中に入ったら助かったみたいなの見たことあるけどあれはホントなのかしら。実際広島とか長崎の当時の状況を考慮すると、なかなか生き延びるのは難しいかもしれないけれど。

 

だから同時に、愛情持ってる人たちに電話をかけて気持ちを伝えたいなと思いました。

やっぱり残された時間を使ってしたいこととは、大切な人を元気にすることなのかもしれない。

 

みんなは何するのかまた教えて欲しいなぁ。ポリ子でした。

 

 

爪を失いました。

 

ドアにおもっきり詰めて左薬指の爪が完全に剥離しました。

 

血がドパドパでたものの痛くはないんですが、もう生えてこないかもよと医者に言われました。

 

人はいつか死ぬし、

身体も朽ちるわけだけど、

 

ちょーーーーショックでした。

 

当たり前だと思っていることができないとき

人は不幸を感じる

ってリリーフランキーが「東京タワー」で言ってました。

 

まさしく!!!

 

こんなちいちゃなお爪でもなくなると悲しいのです。

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厄年だよ

ポリ子でした。

アサーティブ コミュニケーションのすすめ

 

アサーティブネスもしくはアサーション(英:Assertiveness、訳:自己表現・意見表明)は、自他を尊重した自己表現もしくは自己主張のことである。 

wikipediaより

 

アサーティブコミュニケーションをはじめて知ったときは結構衝撃でした。

 

ポリ子自身の強烈な価値観は、

 

人を傷付けちゃいけない、

失敗されたら責められるべき、

みんなに好かれるべき、

みたいな。いいこちゃん価値観でした。

 

そしてコミュニケーションスタイルは、

自己主張はするが反対されれば受け入れ、

依頼は断れず、

自分の感情は基本的に周りに伝えない、

みたいなスタイルでした。

 

怒りドッカン型、感情爆発型のコミュニケーションは嫌いで、仕事で頭ごなしに叱られたら我慢してトイレで泣いたり、打合せ机から退席したりしていました。かっとなる上司や教師は大嫌いでしたが、顔には出さずバカにしていました。

 

つまり、強がりな現実受入れスタイルで、自分の感情を吐露することはなく、孤立感はずっとありました。

 

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アサーティブコミュニケーションは、アメリカらしい考え方で、互いの感情や考え方を表現しながら、互いを尊重し、理解を深め、関係性を築いていくというもの。

 

万人に好かれることなど不可能で、人は衝突してしまう生き物であり、傷付けられる権利と、謝って許してもらう権利がある、という前提です。

 

アサーティブコミュニケーションには、まず、自分の感情を把握する必要があります。

 

日本人は、自分の感情を表現するのが下手だねとイラン人の友人に言われたことがありますが、我慢が美徳だと思っていませんか。

しかも、我慢が常習化し、表現しないと今自分がどう感じているのか分からなくなってくるんだよね。

 

でもでも

それだと大切な人との人間関係が深まらないかもしれない。

 

例えば、友人のある一言に傷付いたとします。

 

そこで、まず「私は傷付いた」と気付くことが大切。

 

次に伝える内容。

アサーティブコミュニケーションの大切なベースは、私を主語とすること。

 

「あなたが悪い」、「あなたは〇〇な人間だ」、ではなく、「私は〇〇と言われて悲しかった」、と伝えること。

 

「傷付いたけど伝えない」と、主体性を持って選択してもいいです。何気なく我慢するのでなく、主体性が重要。

 

そして抽象的な話になると話が飛躍するので、先日こうこう言われたことで、こう感じたのだと実際の起きた事象について説明する。

 

最後は、具体的な要望を伝える。

「次は(これからは)、〇〇して欲しい」と。

 

これ実際にガリガリ怒りまくってきた上司にやってみたことがあるのですが、

謝罪してくれ、背景を説明してくれ、これからはやらないと約束してくれました。

 

実際はあんまり治らなかったけど笑、信頼性は深まったかなと思います。

 

自分がなんだかよく分からなくて自己表現が控えめな方は一度アサーティブコミュニケーションを学んでみることをオススメします。

 

参考文献

https://www.amazon.co.jp/アサーション入門――自分も相手も大切にする自己表現法-講談社現代新書-平木-典子/dp/4062881438/ref=nodl_

 

あなたに向けて書いたよ、

ポリ子でした。

 

 

しないことを決めると、別のものが手に入る


時間は最も希少な資源
時間をマネジメントできなければ
なにもマネジメントできない
ドラッガー『経営者の条件』より



30歳を過ぎて、え?もう?まじで?

あと50年しか生きられへんの?

やば。。。

 

と思いました。

 

まだなんも達成できてないやん、的な。

 

ドラッガーは時間に関する言葉が多くて、

 

時間に関する希少性と重要性を強調しています。

 

 

30歳あたりで納得したポリ子は、

 

2016年より、テレビを見る時間を捨てました。

 

朝のニュースのみ見て、

帰宅後と土日は一切見ない。

 

そして、得た時間で様々なジャンルの本を読み漁り、

2年でたぶん読んだ本は100冊を超えました。

 

100冊?を超えたあたりから、

ものをよく知ってるね、とか

経験豊富だね、

賢いね、とか言われるようになりました。

経験してないのに!!!

本読んでるだけなのに!!!

 

 

芸能ニュースとかには全くついていけなくなりましたが、得たものは大きいです。

 

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 写真は昔作っていた作り置きですが、2018年は自炊する時間を捨てて、

英語の習得にあてたいと思います。

 

 

本当は家でゴロゴロしてマンガ読んでる時間すてたほうがいいんだろうな。

ZOZO見てる時間も無駄やよな。

 

と思います。

 

でも、その時間好きなんやもん!!!

 

スマホも人をダメにしますよね。

 

取り組みやすく影響のあるものからトライするのがマネジメントのコツだよね。

 

やからやっぱ自炊の時間を捨てます。

コンビニサラダと、豆腐、納豆、缶詰め、惣菜

大活躍だぜ!!

 

お米はたくし、ちょびっとは作るよ。

 

ポリ子でした。

 

 

ゼロ円 ダイエット法

 

歳を重ねるにつれて

 

体重が減るのが難しくなるなぁーと感じる今日この頃です。

 

付き合いは増え、飲み会も増えるからこそ

 

増す体重、、やばい、、、

 

しかも仕事のストレスでさらに体重が減らない、、、

 

という訳で昨年から痩せたいと思っていましたが結局体重は減らないまま。

 

そこで今年から新たなダイエット方法を取り入れました。

 

それは、コミットメントです。

 

コミットメントとは、目標を周囲に宣言して達成を約束することです。

 

つまり、今年の目標はダイエットです!痩せます!と周囲に言いまくるのです。

 

恥を捨て、会社の人に敢えて言いまくることで、

飲み会はイタリアンから鍋になり、

一杯目からハイボールにでき、

外出時のボリューミーなランチも残し、

おばちゃんがくれるお菓子も断れる!

 

つまり、空気読まずにダイエット一筋になれるのです。

 

しかも、宣言しているので、

抑止力を感じることができ、

達成にも意欲的になれます。

 

周りに流される、誘惑に弱い人にオススメな方法です!!!

 

二週間でひとまず1キロ落ちました。

 

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半年かけてあと7キロがんばります!!!

 

コミットメント ポリ子でした。

 

 

 

 

 

宗教っぽさを感じるときの怖さについて考えてみた

 

色々な公演を聞いたり、本を読んだり映画を見たりして、「なんかあれ宗教っぽいよね」って感じるときありませんか。

 

それって大体がネガティブなイメージだし、

なんかこわーいって意味だと思います。

 

大体の人は、なんか宗教さを感じると、

嫌な感じだから、否定し、

その考えゴミ箱へぽいってなると思うんです。

 

果たしてそれで良いのか?

 

と自問自答したので、そもそもなぜ怖いのかについて考えてみました。

 

解答案は以下の通りです。

 

我々は結構不確かで曖昧なものに囲まれて生きており、それらカオスな世の中を理解するため、考え方みたいなものは幼少期に(13歳くらいまでに)大体固まります。

その無意識といってもよい考え方を変えられる場合に、宗教的であると感じる場合が多く、変えられた場合の影響力は絶大なため恐怖を感じます。加えて、少数な考え方を採用した場合は大衆から孤立する場合が多く、危険を感じるのも恐怖の要因です。

 

 

 

はぁ?って感じだと思うので説明してみます。

 

例えば、人類は皆平等に扱われるべきである、という考え方。結果的に不平等になったとしても、対等に扱われるべきだよね、という問いに大体の日本人はイエスと答えるはず。

 

しかし1800年代のアメリカへタイムスリップしたとしましょう。

黒人は奴隷であることが当たり前の世界。

牛や豚よりも便利な生き物として奴隷は愛されていて、

みんなこういうのです

 

「え?黒人は人間じゃないよ?奴隷だよ?

差別っていうか、え?差別じゃないよ!

だって奴隷は奴隷だよ!家畜みたいなもんじゃん。

大事に扱ってるし彼らも幸せそうだよ?

なにがダメなの?」

 

周囲の人間ほぼ全員がそう素直に悪意なく話しているとして

いったいどれだけの人間が白人と黒人は平等だと説明できるでしょうか。

 

なんで?って聞かれたらどう答えますか?

 

 

愛は素晴らしい。

 

自由って素敵。

 

 

そんな当たり前なものたちも言ってしまえば、幼少期に確立したものの考え方であるし、それらはある種宗教的だし、洗脳的なのです。

 

科学が宗教に勝てたのは、ものの考え方に左右されずに同じ結果になるということの普遍性であり、科学が立証できないものは大概無意識な考え方で社会は成り立っています。

 

あるオセアニアの島では、父よりも母方の男兄弟が家族内で権限をもつ民族もあります。

 

家族とはどういうものか。

 

それすらも無意識への刷り込みなのです。

無意識への道徳観への刷り込みが宗教的なものです。

 

人間は、無意識なものの捉え方をした後に、意識的なものの捉え方をして、認識し、考えて、行動します。

 

つまり

宗教的であると感じるものに無意識な刷り込みを変えられてしまうと、私達の行動は一変することになっちゃうわけです!

 

 

自家用車の購入を、夫でなく自分の兄に許可を求める。

夫でなく兄に子供の名付け親になってもらう。

夫でなく兄に養ってもらう。

などなど。

 

これらの行為の正当性を主張した場合

日本では異常者と思われてしまいますよね?

父より兄のほうが偉い。だから権限があるべき!とか言っていたら宗教っぽくないですか?

 

これが宗教っぽさの正体であり、宗教っぽさを感じたときの怖さの正体。

 

宗教っぽいものの怖さが判明した後で私が言いたいことは、

宗教的であると感じた場合に即否定するのではなく、

自分の無意識なものの考え方に目を向けてみよ、ということです。

 

 

その考え方が本当に大事であるのかそうでないのか、

一度考えてみたほうがよい場合もあるはず。

 

 

ただし、影響を受けるともう2度とは戻れません。

リスクは大なのでよく考えてね。

 

長文読んでくださった方ありがとうございました。

 

こんなことばっかり考えてしまうポリ子でした。