ポリ子の日記

ポリ子さんの抽象的で感覚的でたまに論理的な日記です。大手メーカ経営企画。海外旅行。哲学。心理学。宗教。政治学。社会学。経営学。美味しいもの。個性。人類。が好きです。

信じるということ

 

ある賢者に言われました。

 

あなたは誰も信じていないでしょうと。

 

わたしは無自覚でした

 

たしかにそのとき、わたしは信じるということは赦すことだと思っていたのです

 

日本語は不思議なもので、疑いなきものに「信じる」とは使わないのです。

 

断定形を使うのです。

 

彼は親切だ、とか

彼は治る、とか。

 

 

彼の言う、信じるということはなんのことなのでしょうか。

 

日本語でいう信じるということは、「愛す」に近いような気がします。

 

力を期待し、過ちに傷付き、過ちを叱り、赦し、受容し、再び期待するということ。

そして、それをケチらないということ。

 

信じるためには、たーーっぷり愛を持つということが大切なのです。

 

もし仮に人を殺して刑務所に入っても、わたしの両親はわたしを愛し続けてくれる。

叱り、赦し、また期待してくれる。

 

妹と私は信じれました。

 

愛を後世に伝えるということこそ、

わたし達の使命なのかな、とそう思うのです。

 

 

ポリ子より

 

 

 

 

 

太宰治ってなんであんなにモテそうな文章を描くのだろうか

 

最近太宰治にはまっています。

 

斜陽、ヴィヨンの妻走れメロス、その他短編 などなど。

 

太宰治を読んでいると、

この人ものすんげーモテるんだろうなって思う。

 

なんでかな。自己陶酔感??

 

俺は、美形でめっちゃ物書きとして才能あるんだよな

いやいや

俺なんて、金もないし家庭もないし体もぼろぼろなんだよ

いやいや

俺は、華族の家の出で名門大学でてるんだよ

いやいや

俺なんて、小説しか書けない落ちこぼれなんだよ

 

みたいな。

 

めちゃくちゃ巨大な自信と巨大な劣等感とでウロウロ夢中で、常に自由とストレスを抱えているみたいな。

 

そこに寄ってくる

母性をくすぐられる歳上女性!

憧れを抱く年下女性!

 

 

小説を読んでいて作家自身がここまで露わになるという、精神的な露出感。

普通なら恥ずかしいので絶対できない。

太宰自身自覚ないけど、ある種メンタルめちゃくちゃ強い。

 

露出している人は、空気読めよ!みたいな緊張感がないので、

 

自分に自信がない劣等感を抱く女性も寄ってくる…

 

 

太宰治みたいな男と誰でも一度は恋に落ちるんじゃないかと思ったポリ子でした。

 

片想いがしんどいのは片想いだからじゃない

 

最近自分の得意なこと、かつ、好きなことに特化すべきであるという方針で生きております。

 

 

例えば世の中の動物たちは、

キリンは高いところの葉っぱを食べ

チーターは早い足を生かして獲物をしとめます。

 

生き残るためには自分のいいところを生かした生き方が必要です。

それで、不幸になるか、幸せになるかは、周りの環境次第、運次第。

 

そうやって代々生きてきたわけです。

だから人生面白いんだし、ドラマがあるんだと思ったりする。

え!あの人がまさか成功するなんて!え!あいつがまさか犯罪を犯すなんて!的なね。

 

しかし、日本では均質を重んじるから、

良いところじゃなくて平均以下のところを伸ばそうとする。

 

まぁ、それでもいいんだけど、

やはり自分のいいところを見つけて、そこに自信を持たないとなかなか人生楽しくない気がしている。

 

人生において一番辛いのは、自己否定だと思う。

自分てダメなんだーっていう気持ち。自分は、間違ってる、おかしいっていう気持ち。客観的な否定を過度にしすぎること。

 

意外とこういうのはあって、

学校に行かなきゃいけない、とか

いじめらる自分はおかしい、とか

家族が好きじゃない私は悪だ、

子供は産まなきゃいけない、とかとか。

 

片想いがしんどい真の理由は、叶わない恋心を持ってちゃいけないと、否定するからなんじゃないかと思う。

 

不倫がしんどい真の理由は、不倫をしてる自分を否定するからなんじゃないかと思う。

 

良い悪いって誰が決めたの?

誰が否定してるの?

その誰かさんの否定はあなたの人生にどんな影響があるの?

 

 

そんな自分も自分なんだよねーってなると、かなり楽になる。

そりゃいいとこもあるんだけどさ、ここはダメな自分なんだよねーって。

 

そうすると、カラッと次のアクションに進めたりする。

 

学校に行けない私なので、通信教育します。

いじめられちゃう私なので、転校します。

家族が嫌いなので、会いません。

子供が出来ないので、余生は贅沢な暮らしをします。

片想いが止まらないので、こっそり想い続けます。

好きになった相手が結婚していたので、離婚を要求します。

 

とかとか。

 

人生を変えるのは行動のみ!

前向きに行動できるのは、自分を肯定しているとき!

 

皆さんに幸あれ。

 

 

 

 

 

 

お久しぶり、空気です。

 

あれ?お久しぶりですね。

どうですか、空気は上手くマネジメントできるようになりましたか?

 

ははは。

まぁ難しいですよね。

 

私をマネジメントしようと発想してるだけ、少なくとも人類の中で頭一つでているといえますね。

 

え?日本ですか?

 

そうですね、海外に比べると頭が出てるヒトは少ないですよ。

 

例えばですね、所謂ある民族というか、ある集団意識のある方々は、「満場一致は再審議」というルールがあるそうな。

いやはや、大変人間の特性が分かったルールですよね。

満場一致は有り得ない、満場一致する場合はなにか変な力が働いていると。再審議すべきだということです。

変な力は私である場合があるわけです。

 

 

ほぅ。賢いですね。おっしゃる通りです。

ディベートは私が生み出されにくくなる一つの方法です。

調査や論理武装に時間をかけ、私を無視できる。

 

あなたは私に興味が尽きないようですね。

あまり踏み込むと戻ってこれなくなりますよ。

 

人は、思う、信じる、知っている、無意識の順で、自分のなかに深く知識やルールを根深せていくわけです。

 

ある調査では、人は18歳くらいまでで下界の情報を固定してしまうそうな。

言語の習得が難しくなる時期ですね。そこで固定してしまうと、新たな世の中の仕組みやルールを受け入れにくくなる。

 

常識とは前提条件の思い込みである、ということです。

 

 

混乱されてきましたか?

 

ははは。

 

興味を持たれたら、あなたたちの歴史や宗教を学んでみてはいかがです。

 

なにせいくら科学技術が発展しても、あなたたち人間は2000年以上目覚ましい生物的進化はしていないのです。

 

 

わたし、空気も2000年以上変わらぬ姿で、条件さえ整えば参上しております。

 

いやいや。

私はかなりヒントを与えていると思いますよ。

 

また、あなたが少し頭一つ上がれば、お話しましょう。

 

 

 

 

いつまでも若々しくいるには、新しいことをやり続けること

 

最近30歳を過ぎて、老けたくないとリアルに思うに至ってきた。

 

周りを見渡して観察をすると、

年齢を重ねても生き生きした人と、健康状態は良好なのに目が死んでいる人、人類は二種類に別れていることに気付いた。

 

生きているのに、目が死んだような人間には死んでもなりたくない…

 

小泉今日子みたいに年齢を感じられてもいいけど(失礼)、小泉今日子みたいに生き生きして生きていたい。

 

彼らはどこが違うのだろうか。

 

観察結果として、いくつか思いあたるのであげてみる。

 

1.新しいことに挑戦している

 

茂木健一郎さんの本に

脳がアドレナリンを一番出すのは、成功確率が半々のときであると書いてあった。

100パーセント失敗するときでも、100パーセント成功するときでもなく、50パーセント。

つまり、出来るか出来ないか、ちょうど分からないくらいのことにチャレンジする際に、脳は快感を覚えるのである。

 

わたしの周りの友人でも、生き生きと楽しそうな人は、習い事なり、転職なり、仕事内容なり、恋愛なり、子育てなり、ちょっとしたことでもチャレンジしている人が多い。

 

新事業推進部に配属されて、某 P 社とか、N社とか大手企業の新事業担当の方々にお会いするが、皆んなエネルギーに満ち溢れ、楽しそうにチャレンジしている人が多い。

初めて彼らの世界に入ったとき、こんな社会人もいるものか、と目から鱗だった。新事業なんて大概大変なのだが、彼らからは、皮肉な言葉も出ず、前向きで、純粋に人生や仕事を面白がっている。

 

それは、我々が子供時に感じた、頑張って頑張って「できた!!」という感じを、今でもたまにやっているからな気がする。

 

そのとき脳からはアドレナリンが出ているに違いない。

 

 

2.自己効力感がある

 

では、どのような人がチャレンジする傾向にあるのか?

 

それは、自己効力感のある人であると思う。

自信と言う表現では曖昧なので、あえて自己効力感と定義する。自己効力感とは自分が何かに対して影響を及ぼせると言う感覚のことである。

クリエイティブマインドというデザイン思考の本には、創造性を発揮させるために必要不可欠なものとして自己効力感があげられていた。

完璧に出来るかどうかはわからないが、とりあえず何かはできるっしょ!そんな感覚。

 

成功確率が半々、というのは主観に左右される。事業の成功確率であれば、孫正義の思う半々と、私の思う半々では、規模感やら事業内容やらなにもかもが変わってくるだろう。

 

成功確率が半々であると感じるのは自分だ。主観なのだ。つまり、自己効力感を持ち、小さいことにチャレンジして成功したら、次はもう少し大きいこともできるのではないか、と自己効力感はどんどん大きくなるのである。

 

自己効力感を持つ人はどんどん新しいことにチャレンジし、さらに自己効力感をもちさらにチャレンジできるという好循環が生まれるのだ。

 

3.素直である

 

では、自己効力感はいかに育まれるのか?

 

それらを育むには、自分が信頼できる人の承認他ならず、それらを真と認めることのできる素直さ他ならずである。

 

私の会社の女性の先輩に、「課長に褒められるんだけど、なぜだか全く分からない。むしろ混乱する。」と言っている女性がいた。

彼女は出来る、と結構有名だったので私はびっくりした。

では、課長が嘘ついてるって思いますか?もし課長を信頼してるなら、その言葉を受け入れちゃえ!とアドバイスした。

その女性は、「あはは、前向きだねー!」と笑っていた。

その気持ちが自己効力感→チャレンジ→生き生きキラキラへの第一歩であるように思う。

 

 

これを認識してから、私は毎月1人以上と初対面の人に必ず会うようにしている!

なかなか良い人に会うようになってきている。まさしく自己効力感が増している最中である。

 

 

ポリ子でした。

 

あと30分で死ぬと思ったハワイの人々

アメリカ・ハワイ州で、1月13日午前8時7分に「緊急警報。弾道ミサイルの脅威がハワイへ接近中、ただちに避難を。これは訓練ではありません」という緊急メールが一斉送信されました。

 

アメリカ人と話をしたところ「これは訓練ではありません」と言う表現がとても重要で、これによって現実味がものすごくますらしいです。

 

ハワイの人々はあと30分で死ぬと思ったはず。彼らはその時何をしたのだろう?

 

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ちなみにそのアメリカ人のいとこである夫婦は、ハワイに在住して長く、2人の子供がいるらしい。子供たちはそれぞれ独立し、アメリカ大陸で暮らしているとの事。

 

弾道ミサイルのアナウンスがあり、もうあと30分で死ぬんだと認識したその時、彼ら死を受け入れたそうです。

そこで何をしたのか?

 

なんと彼らは穏やかに近所の人たちとおしゃべりをし続けたそうな。いつもと変わらないそんな毎日。

 

あと30分で死ぬと言われた時、あらわになるのはその人の人生観なのか?

 

それとも、その人のその時点での人生の満足度なのか? 

 

あーあれやっとけばよかったな、ともし思うことがあるのであれば、あなたは今すぐにそれを実行に移すべきです。

 

何かで、後悔のない人生は深みのない人生であるみたいな名言を読んだことがありますが、ポリ子の意見としてはやはり後悔の最小化は、努力してしないといけないと思います。

 

人間の最大のそして最高の素質は、想像力だと思います。

特に答えは無いですが、これぜひ1回想像してみたほうがいいと思ったのでここに書きます。

 

ちなみに、ポリ子だったら、絶対生き延びると、生き延びる方法を脳をフル回転させて考えます。絶対諦めない!笑

 

でも核シェルターなんて近くにないからどうしたらいいかわかんない。笑

昔映画で冷蔵庫の中に入ったら助かったみたいなの見たことあるけどあれはホントなのかしら。実際広島とか長崎の当時の状況を考慮すると、なかなか生き延びるのは難しいかもしれないけれど。

 

だから同時に、愛情持ってる人たちに電話をかけて気持ちを伝えたいなと思いました。

やっぱり残された時間を使ってしたいこととは、大切な人を元気にすることなのかもしれない。

 

みんなは何するのかまた教えて欲しいなぁ。ポリ子でした。

 

 

爪を失いました。

 

ドアにおもっきり詰めて左薬指の爪が完全に剥離しました。

 

血がドパドパでたものの痛くはないんですが、もう生えてこないかもよと医者に言われました。

 

人はいつか死ぬし、

身体も朽ちるわけだけど、

 

ちょーーーーショックでした。

 

当たり前だと思っていることができないとき

人は不幸を感じる

ってリリーフランキーが「東京タワー」で言ってました。

 

まさしく!!!

 

こんなちいちゃなお爪でもなくなると悲しいのです。

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厄年だよ

ポリ子でした。