ポリ子の日記

ポリ子さんの抽象的で感覚的でたまに論理的な日記です。大手メーカ経営企画。海外旅行。哲学。心理学。宗教。政治学。社会学。経営学。美味しいもの。個性。人類。が好きです。

絶望という名の大前提

高校時代、人として大好きだった国語の先生がいました。その先生の話した内容をご紹介します。

 

先生「赤ずきんちゃんがもしこういう終わりだったら?」

 

・・・・

 

あるところに赤いずきんをかぶった女の子、赤ずきんちゃんがいました。

 

じゃ、行ってきます、とお家を出ます。お母さんに言われて、おばあちゃんのところにパンを届けに行くのです。

 

するとそこに狼が。

 

がぶ!

 

赤ずきんちゃんは食べられて死んでしまいましたとさ。

 

・・・・

 

先生「みんなどんな気分になるでしょう?」

 

生徒達「しーん」

 

先生「それはね、絶望という気持ちです。」

 

変な先生です。国語の授業で教えてくれたこと、それは絶望。

 

人はたくさんの前提の中で生きています。明日は晴れだろう、とか、会社は明日も通常営業だろう、とか、彼氏は明日も私を愛しているだろうとか、アメリカは核ミサイルを発射しないだろうとか、なんでも、本当にたくさんの前提の中にいます。

 

その中でも一番大事で意識しない前提。

 

それは、「明日も生きている」という大前提。

 

その大前提が失われたとき、人は絶望すると先生は教えてくれました。

 

メメントモリという忘れられない言葉があります。ラテン語で、死を覚えておけ、という表現。

 

メメントモリ。死を思えば、生が見え、生を思えば、死が見える。」

 

人は常に不安な生き物です。しかし、「明日死んでも後悔しない人生を」、それを受け入れると不安が少しだけ減るのです。

 

だってみんな死ぬんだもん。それって超ホラー。

 

でも、自分が死ぬ不安は、自分で少し減らせるのではないでしょうか。

 

不安が減ると、周囲に人が集まります。不思議です。死を身近に思えて、死を乗り越えた人に大成した人が多いのは気のせいかしら。

 

そう、我々は明日死ぬかもしれない。それは平等。だから、今日までの自分の人生を愛せることって大事だ!

 

宗教じゃないよ。笑

 

 

 

 

 

世の中の法律とか規則とかって変えれるんじゃね?

多くの日本人はルール(法律、規則などなど)を絶対視しすぎています。

 

一時期民法を勉強していましたが、分厚い本過ぎて途中で断念したものの(本棚で化石となっている)、1つ学んだことがあります。

 

それは、ルールの目的は人間の「団体活動における幸福の公約数の増大」であること。

 

人間はグループの人数が多くなればなるほど、活動が複雑化してくるので、全体の「幸福最大公約数」をとるためにルールが必要なのです。

例えば例えば…

2人でテニスサークルに所属しているとして、「いつする~?何時にどこで集合する~?」というのは、別に2人だったらLINEで決めたらヨイのです。「いーなー!俺も(私も)参加したーい!」と参加者が増大してくると、いちいち決めていたらきりがありません。そう、そこでルールが登場!

 

ルール①毎週月曜日18時に○○運動場集合。

 

となります。しかしながら、15~20人で活動していると遅刻者・欠席者が出てくる。「え!2人も休みなの?コートの使用料が高くなっちゃうじゃん!」てな感じで、いろいろトラブルが生じてきて、幸福指数がダウンしてきます。困った困った。

 

そこで

 

ルール②欠席する場合は、前日までに連絡すること。当日連絡の場合はコート使用料は負担すること。

 

とか全体に悪影響を及ぼす人を縛るルールもできるわけです。ふむふむ。

 

さらにグループが巨大化してくると、そこそこテニスうまいチーム、とか、初心者チームとか、団体構造が分化してきて、それぞれにルールができたりして、ルールが複雑化してきます。サークル活動では、旅行、飲み会、ユニフォーム作成とか活動も多様性が増すと、それごとにルールができたりしてさらにルールは複雑化してくるわけです。

 

突然、イスラム教を信仰する友達ができたりした場合なんて大変です。大好きな友人のために、お祈りの時間を避けてグループ活動を設定したり、飲み会ではハラルフードのお店をなるべく使うようにしたりと、最大幸福を考えるための複雑さが増します。

 

つまり、「ルール」は「活動(個)」「構造(団体)」と相互に作用しており、そもそも目的が人間の「団体活動における幸福の最大極限値の増大」なのだから、変化するものなのです。

 

だから、働く女性が増えたのであれば、ルールを変えるべきだし、アメリカの方針が変わったのであれば、日本の自衛ルールも考え直すべきなのです。

 

ルールがこうだか、我々はこうすべき。っていうのは発想が逆です。目的と手段の逆転です。もちろん抵抗が少ない手段を選ぶべきではあるけど、ルールは可変であることはちゃんと認識すべき。

 

自動運転に対応するため、国土交通省警察庁はルールを変えようとしています。人間の活動にルールが追い付いてくるわけですね。

 

社会人なって気づいた社会の仕組みの一つです。みんな、自由に発想しよう!

 

最終到着駅

木こりが、薪を割っております。

 

そこに通りかかった鼻歌歌う少女。木こりに気付き聞きます。

 

少女「なぜ薪を割ってるの?」

 

木こりは答えます。

 

木こり「冬だからね、薪を割らなくちゃ」

 

少女は聞きます。

 

少女「なぜ冬だと薪を割らなくちゃいけないの?」

 

木こり「寒いから暖炉がいるだろ、それに使うのさ」

 

少女「なぜ寒いと暖炉が必要なの?」

 

木こり「凍えちゃうだろ、朝起きたらしんじゃうぞ」

 

少女「なぜ暖炉なの?他の方法じゃだめなの?なぜ死んじゃだめなの?」

 

木こり「暖炉がいいんだよ!みんな使ってるだろ?寒いからって死にたくねーしな。おれは暖炉が一番あったけぇって信じてるんだ」

 

少女はがっかりしました。最終到着駅に行けなかったからです。

 

少女は気を取り直してまた歩きだしました。

 

しばらく鼻歌を歌って歩いていると、また違う木こりが薪を割っております。

 

少女は聞きます。

 

少女「なぜ薪を割っているの?」

 

木こり「暖炉にくべるんだ!」

 

少女はがっかりしました。また同じ回答かと思ったからです。

 

でも一応聞きます。

 

少女「なぜ暖炉にくべるの?」

 

すると木こりはこう答えます。

 

木こり「あったけぇ暖炉の前でな、おっ母と息子らと娘らと座って、ホットミルク入れてな、本読んだり、一日あった出来事を話したりするんだ。おれはその瞬間が大好きなんだよ。」

 

少女は満足しました。最終到着駅に着いたからです。

 

めでたしめでたし。

 

 

笑顔最強説

持論ですが、笑顔は最強だと思っています。なんなら、言葉なんて話さなくてもコミュニケーションは笑顔だけでなりたつとすら思っています。

人がコミュニケーションで得たいもの、それは、
共感: 仲間だね、と思える感じ。WE感。
尊厳: わたし、いいところあるなって感じ。I感。
知性 :世の中、そうなってるんだ、そんなことあるんだって感じ。they感。

youはたぶんすごく興味ある人だけ大事だろうね〜

大事な順番に並べてます。共感と尊厳は笑顔で伝えられます。知性は言葉がないと無理だけど!ちょっと首を傾けてニッコリすると、好意を伝えられるそうです。無意識にこれをやっている人は周囲に人が集まるでしょうね。

ただし、人は笑いの様々な種類を見分けられるので要注意です。嘘笑い、苦笑い、愛想笑い、バカにした笑い、引きつった笑い…
なかなか感情には嘘がつけないようにできています。感情を完ぺきに隠すと、自然な人間関係が成り立たなくなっちゃうからそうゆう風に自衛でできてるのかも。

なのでいかにナチュラルな表情を瞬時に作るかが大事!!鏡で練習しましょう。

頬の筋肉、口角、目、鍛えましょう!!

 

感情のセンシング

フランス語には、I miss you みたいな表現はあれど、「淋しい」という単語はない。いわゆるJe t'aime.という表現は、愛しているという意味だけど、Je t'aime bien. 「とても愛している」という表現は恋人には使えない表現であり、愛している、に度合い表現はないとか。

 

感情は目に見えない。いわゆる抽象概念であり、彼女の悲しさと、わたしの悲しさは必ずしも一緒じゃない。

 

でも、感情は言葉でしか分類できないし、理解できないし、はたまた認識できない場合もある。大丈夫!って言ってるけど本人も大丈夫だと思っているけど、精神は傷んできてるとかね。

 

では、一度も味わったことのない感情を感じることは可能なのでしょうか?

 

私は最近ストレスを感じている実感があるんだけど、それはストレスを感じた経験から自分の反応をセンシングしていて、あぁストレスを感じてるんだなあ〜って思い、労働時間を調整したりしている。年々感じた経験のある感情の幅が増え、対処策が増え、取り乱すことが減ったように感じるよね。

 

自分の感情のセンシングってすごい大事。でも、その感情がなんなのか、って実はすごーく難しいよね。

 

好きってなに?みたいな問いは、高校生がやりがちだし、私の方が好き!とか、彼の方が私を愛してる!とかって、実はすごーく難しい抽象概念のやり取りだよね。

 

いくつか同様に当てはまるから、おおよそ一緒だろう、っていう結論でしかない。愛、恋、悲、怒、いっぱいあるけど、さっき言ったみたいに使う言語によってない言葉もあるし、度合いがないっていう考えもあったりする。

 

では、次に来る問い…同じ感情を抱く、つまり

共感とはなんぞや?

 

共感は、本当に同じように感じているのか?それとも錯覚か?とか思うと、ルードヴィヒヴィルゲンシュタイン?だっけ?の有難い言葉が染み渡る。

 

具体的に考えよ!

 

哲学の有難い教え。

 

証明できることだけ考えよ!

 

つまり大事なのは、自分の感情と相手の感情が同一であるという証明はできないこと。さらにいわゆる共感した、と感じるその気持ちそのものが重要であること。

 

つーこった!

 

 

 

発信の発進!

発信をしはじめることにしました。価値とは、受信して、考えて、発信することまでやって、はじめて生まれると思ったから!!

人生平均まで生きるとして、1/3終了して気付きました。

よかった。あと2/3あるぜよ。せこせこと発信します。ピピピ。